ラーゲリより愛を込めての実話はどこまで?モデルや原作についても!

エンタメ
スポンサーリンク
Pocket

2022年12月9日から全国公開している映画『ラーゲリより愛を込めて』が人気で話題を呼んでいます。

公開スタートの週末3日間で観客動員27万3000人という驚異な数字を出し、興行収入は3億7400万円とものすごい勢いです。

しかも第46回日本アカデミー賞記者発表では主演を務めた二宮和也さんが優秀主演男優賞を受賞しています。

同時に美術を担当した磯見俊裕さんと露木恵美子さんが優秀美術賞を受賞しています。

そんな話題たっぷりの『ラーゲリより愛を込めて』ですが、気になるストーリーは実話のようで、一体どこまでが実話なのか気になったので調べてみました。

そこで今回は「ラーゲリより愛を込めての実話はどこまで?モデルや原作についても!」と題して『ラーゲリより愛を込めて』の実話はどこまでなのか、まとめてみました。

モデルや原作も気になりますよね。

ストーリーは運命に翻弄されながらも再会を願い続けた2人の11年に及ぶ“愛の実話”となっています。

ネタバレも含みますが、是非参考になれば幸いです。

ラーゲリより愛を込めての実話はどこまで?
ラーゲリより愛を込めてのモデルや原作についても!
スポンサーリンク

ラーゲリより愛を込めての実話はどこまで?

『ラーゲより愛を込めて』はほぼ実話

早速、『ラーゲより愛を込めて』の実話がどこまでなのか調べてみましたが、映画は脚色されているシーンもあるかと思いますが、ほぼほぼ実話です。

しかし、ネット上では実話と言われている意見が多い中、実際に映画を見た方の感想では、ファンタジーすぎて現実味がないというシーンもあったようです。

ここからはネタバレも含みますのでご注意ください。

黒い子犬のシーンは脚色あり

具体的にどこのシーンかというと、子犬のクロのシーンです。

クロが二宮さんが演じる主人公の山本幡男さんが亡くなってから行方をくらませて船の出航後に船を追いかけて凍った大地を走るシーンです。

実際もそうだったのかというと、山本幡男さんがなくなってから一切姿も見せず、日本兵が乗ってる船を当てて氷の上を走ってくるとは考えにくいですし、たしかにファンタジー感がありますね。

そもそもクロの存在は映画を盛り上げるためのキャラな感じもしますが、実際にクロの行動自体は原作に描かれています。

抑留場の仲間は一部映画の創作

映画の中で、桐谷健太さんが演じる相沢光男という人物は映画の創作です。

相沢光男は、山本さんに対して辛くあたります。

その理由として、山本さんを敵視(旧軍の秩序を利用する者)していたからです。

相沢光男が創作とはいえ、同じようなにな日本人もたくさん実在していたそうです。

さらに調べてみると、過去にこの映画のモデルとなった山本幡男さんに関する実話をテレビ「金スマ」で放送していました。

それによると、映画を見た方は、「結末が違う」という意見がありました。

こちらの件に関しては、金スマのドラマは安田顕さんが演じる佐藤健雄さんと別の方でした。

佐藤さんは山本さんと同じ抑留場にいた方です。

山本さんは日本に帰国することが叶わず亡くなってしまいますが、佐藤さんは帰国し家族と再会することができますが、その後亡くなったという結末です。

ラーゲリより愛を込めてのモデルや原作について!

主役・山本幡男について

ラーゲより愛を込めての主役・山本幡男さんは、実在の人物です。

山本幡男さんは第二次世界大戦後、日本人の約60万人がソ連によってシベリアに抑留されます。

山本幡男さんもその一人ですが、その中でも6万人が命を落としているのです。

山本幡男さんはどんな方なのか見ていきます。

<山本幡男(やまもと はたお)>
生年月日:1908年〈明治41年〉9月10日
出身:島根県・隠岐4島の西ノ島町生まれ
出身校:東京外国語学校(現東京外国語大)中退

山本幡男さんは六人兄妹の長男とで、父親は地元の小学校の校長だったそうです。

山本さん自身もとても勉強が出来る子どもだったそうで、旧制松江中学校では優秀な成績で副級長を務めていたそうです。

性格も明るく文才・画才と優れていた学生だったと言われています。

大学ではロシア語を学び、ロシア通でもありました。

しかし、在学中に左翼運動に参加して3・15事件で逮捕され、卒業間際でしたが退学となります。

その後は、満州に渡り南満州鉄道株式会社の調査部に採用されて、ソ連の軍事や経済社会の分析担当として任務遂行していました。軍事などの分析を担当した。

抑留後、このロシア語が堪能である山本さんは経歴があだとなる、ソ連は山本さんを「スパイ」と断定されてしまうのです。

1949年に強制労働収容所に移される

そして、裁判では「重労働25年」の判決を下されて、山本さんは1949年に極東ハバロフスクの強制労働収容所に移されます。

いつ帰国できるか分からない状況の中、過酷な重労働、暴行、マイナス40度の極寒も味わい、帰国どころかその前に自分は死ぬのではないかと思う毎日を過ごすことになります。

そんな辛い絶望の毎日に、山本さんは明るい未来を願い、。「アムール句会」という日本語の俳句サークルを結成します。

ソ連は特定の目的以外で日本人が集まることを禁じていましたので、「アムール句会」はもちろん極秘結成でした。

ソ連側に見つかれば即「スパイ」扱いで、罰則や投獄される恐れもあったからです。

そんな危険もありながら、山本さんは亡くなる最後までアムール句会を継続し、家族や日本への思いなどを詠み、アムール句会は皆から親しまれていたそうです。

1953年病気が発覚

そして、1953年(昭和28年)5月に山本さんは喉の激痛を訴え、収容所内の病院に入院します。

病状は全く良くならず、むしろ悪化する一方で、翌年の1954年2月にハバロフスク市内の設備の整った中央病院へ転院となります。

しかし、既に時は遅しで「喉頭癌性肉腫」末期がんでした。

もう手遅れで死を待つだけと診断を受け、翌日に収容所へ戻されてしまいます。

寝ることも出来ない激痛と戦う毎日を見ていた仲間たちは、山本さんに日本にいる家族や母親に遺書を残すよう勧められ、4500字にも渡るノート15枚分の遺書を書き残しました。

6ヶ月後の8月25日、収容所内の病室で誰にも看取られず45歳で亡くなられました。

仲間たちが遺書を丸暗記し遺族に思いを伝える

山本さんと仲間たちは「必ず家族の元に届ける」と約束します。

ソ連に日本語で書き残すことはスパイ容疑と見なされるため、そのノートを持ち運ぶことはほぼ不可能でしたし、みつかれば重い刑が課さられてしまいます。

実際に、隠し持っていた日本語の書物を没収されて収容所に逆戻りした人もいたそうです。

その他にも重労働25年の刑を受けた方も中にはいたそうです。

山本さん自身もそのことを理解した上でで、ノートに遺書を書き留めていたそうで、仲間たちには遺書を全文丸暗記をして山本さんの家族に伝えるよう書き添えられていたそうです。

そして、6人の仲間たちは山本さんの願いをしっかりと受け止め、帰国後に丸暗記した遺書全文をき山本さんの妻子にしっかりと告げることができたのです。

山本さんがこれまで仲間たちに与えてきた希望の恩返しであり、山本さんの人望がわかりますね。

まとめ

以上「ラーゲリより愛を込めての実話はどこまで?モデルや原作についても!」と題してまとめてみました。

ラーゲより愛を込めての映画はほぼ実話に等しいと思われます。

映画として若干の脚色は否めないですが、ストーリーは原作小説とも実話と同じです。

また、モデルについても主役の山本さんや仲間たちも皆実話の話となっています。

本当に涙なしでは見れませんし、日本でこのような過去があったということ自体が信じられません。

今後の世界平和を祈るばかりですね。

そして、映画で主演を努めた二宮さんの演技も素晴らしいですね!

まだ見ていない方は機会があれば是非足を運んでみてください。

コメント

タイトルとURLをコピーしました