松坂大輔の球速の最高は何キロ?高校時代から全盛期の推移を調査!

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「平成の怪物」と言われていたプロ野球西武の松坂大輔さんが2021年7月7日で現役を引退しています。

当時、引退する際にはあの大谷翔平さんもあの真っ先にコメントするほど、世間で話題を呼んでいました。

平成の怪物と呼ばれるだけあって、松坂大輔さんの球速や最高時速は一体どれほどだったのでしょう。

今回は「松坂大輔の球速の最高は何キロ?高校時代から全盛期の推移を調査!」と題して、松坂位大輔さんの球速の最高時速や速度、そして球種について調べてみました。

また中学時代や高校時代はどんな結果を残し、学生時代の球速はどんな感じだったのかも調べてまとめています。

松坂大輔の球速の最高は何キロ?高校時代から全盛期の推移を調査!

<松坂大輔>
・松坂大輔の球速の最高時速!
・松坂大輔の球種について
・松坂大輔の全盛期の球速について
・松坂大輔の中学高校時代から全盛期の球速
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松坂大輔の球速の最高時速

松坂大輔さんの球速の最高速度は2007年に出した98マイル(約158キロ)が最速といわれています。

その他に、メジャー時代に97マイル(約156キロ)も出しています。

松坂大輔さんの理想の球速は「初速と終速の差が5km/hしかない160km/h」と言われていたそうです、

しかし理想の球速を超えることはできませんでした。

松坂大輔さんが活躍した2010年頃の平均的な球速は平均球速91.8mph(約147.7km/h)とされています。

2012年以降の球速はやや下がり、平均球速90.1mph(約145km/h)でした。

この頃の球速の最高速度は95mph(約153km/h)と下がっています。

さらに、右肩関節唇の手術後の2016年以降の球速は最高速度が147km/hと、だいぶ速度は落ちてしまいました。

 

松坂大輔の球種について

次に松坂大輔さんの球種について見ていきたいと思います。

 

松坂大輔の球種は8通り

松坂大輔選手の球種は以下の通りです。

  1. ストレート
  2. スライダー
  3. 縦スライダー
  4. カットボール
  5. カーブ
  6. シュート
  7. フォーク
  8. チェンジアップ

松坂大輔さんといえば、ストレートが武器でさまざまな変化球を投げるのを得意としています。

多彩な変化球の習得も早かったそうです。

とくに全盛期はストレートを武器にした投球スタイルがメインでした。

ちなみにその球種で当時、全盛期の速度は球速156km/hの記録を出しています。

平成の怪物と言われる理由がわかりますね。

 

2019年は得意のストレートが減少

しかし、肩の故障でスピードが低迷してからは、得意のストレートが使えなくなり、2019年はストレートの割合が13%と低迷しています。

体の故障から球速は最速142km/hに落ち、投球スタイルも変化球へ変わってきました。

メジャー移籍4年目から投球が思うように行かなくなります。

9年ぶりに日本プロ野球に戻ってきた時には、上半身の力に頼った投球フォームになり、下半身のパワーを上半身に伝えた力強い球が見られなくなってしまいました。

本人も思うように動かせない体に限界を感じていたはずですよね。

 

松坂大輔の全盛期の球速は何キロ?

松坂大輔の全盛期の球速は155km/h

松坂大輔投手の全盛期の球速は155km/hキロのストレートをかなりの頻度で投げていました。

全盛期は3段階に分かれていて「高校時代」「西武時代(プロ入り)」「メジャー時代(怪我をする前)」です。

この3つの段階でも特に155km/hを何度も投げていたのは2006年以降のメジャー時代かと思われます。

この辺りから年俸もグッとあがっていき、毎年毎年すごい勢いで金額があがっていました。

2006年は3億超え、2007年で6億超え、2008年で8億超え、そして2011年には10億超えという驚異の推移でした。

ですので、この時代こそが松坂大輔さんの全盛期の中でも最高潮の時代だったといえるのではないでしょうか。

松坂大輔の全盛期はプロ入りからメジャー移籍前後頃

松坂大輔さんの全盛期は高校時代からメジャー移籍前後頃まででした。

高卒で日本プロ野球入りしてからメジャーリーグに行くまでの8年間の受賞歴の数々がこちらです。

1999 最多勝(16勝)
ゴールデングラブ賞(初)
ベストナイン(初)
新人王
2000 最多勝(14勝)
ゴールデングラブ賞(2回目)
ベストナイン(2回目)
2001 沢村賞(初)
最多勝(15勝)
ゴールデングラブ賞(3回目)
ベストナイン(3回目)
2002 なし
2003 最多奪三振(2回目)
最優秀防御率(初)
ゴールデングラブ賞(4回目)
2004 最優秀防御率(2回目)
ゴールデングラブ賞(5回目)
2005 最多奪三振(3回目)
ゴールデングラブ賞(6回目)
2006 ゴールデングラブ賞(7回目)
ゴールデンクラブ賞は7回、1999年のベストナイン賞は高卒史上初で話題になりました。

そして、松坂大輔さん通算成績は以下の通りです。

勝利 敗戦 奪三振 防御率
通算 108 60 1355 2.95

150km/hを超えるストレート、ルーキーイヤーには以下で話題となりました!

・プロ初先発で155km/hのストレートで日ハム・片岡篤史から三振を奪う!

・イチローとの初対決では3打席連続三振とほぼ完璧に抑える!

また、シドニー五輪予選の日本代表に最年少で選ばれ、五輪出場に貢献しています。

アテネ五輪では銅メダルを獲得します。

第1回WBCでは先発全ての試合で勝利投手として、WBCの最優秀選手に選ばれています!

この活躍でメジャーに行くことが決まります。

 

メジャー時代の成績

メジャーリーグからNPB復帰までの通算成績は以下の通りです。

勝利 敗戦 奪三振 防御率
通算 56 43 720 4.45

2006年にボストン・レッドソックスが松坂大輔さんの独占交渉権を獲得し、海外移籍の契約となります。

移籍1年目にして、メジャー1年目での15勝と200奪三振を達成しています。

これはメジャーでは史上5人目、日本人では史上初となります。

また同年、日本人史上初のワールドシリーズ先発を果たし、勝利投手となっています。

ところが、2009年右肩が故障してしまいます。

その後は毎年のように怪我が続き成績も下降していきます。

2011年には右肘手術を受けています。

その後は2013年にグリーブランド・インディアンスに移籍となります。

2014年にソフトバンク・ホークスと契約して、NPBに復帰します。

以上、高校時代から日本プロ野球時代、そしてメジャーリーグ時代まで、見事な結果を残してきた松坂大輔さんですが、体の故障が原因で低迷してしまったようですね。

 

松坂大輔の中学高校時代の球速は何キロ?

松坂大輔さんの中学高校時代の球速や成績について見ていきたいと思います。

 

松坂大輔の中学時代の球速

松坂大輔さんは中学時代は「江戸川南リトルシニア」という江戸川区の野球チームに所属していました。

チームメイトいはこの時のチームメイトには元野球選手の小谷野栄一さんもいたそうです。

しかも、中学のリトルリーグ時代にNHKの『天才てれびくん』に出演したこともあったとか。

中学時代から野球でも目立つ存在で、すでに有名人になるオーラがあったのかもしれませんね!

 

松坂大輔の高校時代の球速

松坂大輔さんの高校時代の球速ですが、なんと150km/h超151km/hです!

この球速は松坂大輔さんが高校3年生のとき、夏の甲子園で出した記録です。

ですから、当時は超話題となり高校3年生で一気に有名人となります。

松坂大輔の出身校は横浜高校

松坂大輔さんは横浜高校出身です。

本当は帝京高校に進学する予定だったそうですが、野球仲間が横浜高校へ行くと決まっていたメンバーから誘われて、松坂大輔さんも横浜高校にいくことを決めたそうです。

高校時代は野球部のエースでした。

しかし、エースになる前の姿は「サボリのマツ」とあだ名がつくほど、練習が嫌いでサボっていたそうです。

高校2年生時の夏の県大会準決勝で松坂大輔さんは自分の暴投が原因で、相手チームにサヨナラ負けをしてしまいます。

そこから野球部での練習を猛練習し始めます。

松坂大輔の高校時代の成績

そして、1998年松坂大輔さんが高校3年生のときに、甲子園の春夏連覇を達成で伝説を残します。

準々決勝の対PL学園戦で延長17回・250球を投げ抜き完投勝利!

そして準決勝も勝ち上がり決勝戦に進みます。

京都成章戦では「甲子園決勝戦ノーヒットノーラン」を達成し「甲子園伝説」として語られています。

この頃、大西宏明(元オリックス)さん・平石洋介(元楽天)さん・藤川球児(阪神)さん・村田修一(元巨人)さんと高校球児に多くの優秀な選手が勢揃いでした。

この世代は「松坂世代」と呼ばれていました。

1998年に行われた新人選手選択会議ドラフトでは、3球団から指名されます。

3球団とは日本ハムファイターズ、横浜ベイスターズ、西武ライオンズでした。

そして、西武ライオンズが交渉権を獲得し、西武ライオンズに入団することになります。

当時、松坂大輔さん自信は横浜ベイスターズに入団したかったようですが、入団した西武ライオンズでも一躍ヒーローとなるわけです。

横浜ベイスターズに入団していたらどうなっていたのか、また違った野球人生だったかもしれませんよね。

 

松坂大輔の全盛期と現在の差がヤバい!

これまで見てきたとおり、松坂大輔さんは高校時代から大活躍しており、全盛期のメジャー移籍前後頃はいまでも印象に強く残るまさに「平成の怪物」でした。

しかし、松坂大輔さんはメジャー3年目の2009年に股関節を痛めてパフォーマンスが落ちていきます。

以後、毎年のように体の故障に悩まされ、2011年に右肘の張りを訴えてトミージョン手術を受けてから、メジャー6年間でわずか23勝という結果となります。

昔と比べると全く違うフォームになってしまったようです。

2015年にソフトバンクに戻ってきた時もシーズン中に右肩関節唇および腱板クリーニング術、ベネット骨棘切除術、後方関節包解離術を受けています。

3年間で1試合の登板、結果ソフトバンクを退団します。

テスト入団した中日で2018年に6勝4敗、防御率3.74でカムバック賞を受賞していますが、2019年は右肩の故障でわずか2試合の登板で退団です。

古巣の西武に14年ぶりに復帰しましたが登板は一度もありませんでした。

「給料泥棒」とまで言われた過酷な現実でした。

横浜高校の恩師・小倉清一郎氏さんが松坂大輔さんの引退報道についてコメントされていました。

そのコメントの内容は、松坂大輔さんが故障が原因で終わらせたくない気持ちが強かったようです。

また、本当にお疲れ様という気持ちと同時に、ラスト1勝2勝してほしかったと答えていたことが報じられていました。

恩師ならではの熱い思いがありますよね。

松坂大輔さんは、関係者に「これ以上、チームに迷惑をかけることはできない」と話して、引退を決断したそうです。

全盛期と現在を比べると、差が激しいですが、一番辛かったのは松坂大輔さんご自身だったはずです。

しかし、「平成の怪物」「松坂世代」と言葉が作られるほどの歴史を残した人物であったことは間違い無いですね!

 

まとめ

以上「松坂大輔の球速の最高は何キロ?高校時代から全盛期の推移を調査!」と題してまとめてみました。

松坂大輔さんの歴史に残る伝説の数々、当時を振り返ると「平成の怪物」その言葉通りです。

現役引退されても、野球の解説だったり松坂大輔さんなら引退後も活躍されていますよね!

今後のご活躍応援しています!

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